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2024年8月7日(水)に、東京地方裁判所において原告本人尋問が行われます。
今回の期日では、原告27番、32番、52番の3名の女性が法廷で自身の被害を訴えます。
是非大勢の方に傍聴にお越しいただき、傍聴席で3名の原告の方の証言に耳を傾けてください。
当日のスケジュール等は次のとおりです。
案内のチラシもご確認ください。
★法廷外企画・報告集会の会場が従前ご案内したものから変更されています。
現在掲載されているものが正しいご案内ですので、お間違いのないようご注意ください。
【スケジュール】
9:10~9:20 裁判所前リレートーク
9:30 傍聴券抽選締切り
10:00~17:00(予定) 原告本人尋問 @東京地裁103号法廷
※抽選にはずれてしまった方向けに、10:30から法廷外企画も行います。
法廷外企画の場所は、弁護士会館507会議室です。
期日終了後(17:30頃) 報告集会 @ビジョンセンター有楽町306号室
2024年5月15日(水)、HPVワクチン薬害東京訴訟の口頭弁論期日が開かれ、原告33番(土岐梨奈)さん、43番さんの本人尋問が行われました。
前回の本人尋問期日と同様、多くの方が傍聴やリレートーク、報告集会に駆け付けてくださいました。
また、記者会見で期日の成果を報告しました。
尋問に立った土岐梨奈さん
以下、土岐さんと43番さんが尋問で話した内容の要約をご紹介します。
ー接種の前は体を動かすのが大好きな子どもでした
小学生のころは、体を動かすことが大好きで、ダンスや水泳、バスケットボール、演劇などに取り組んでいました。
学校を休むことはありませんでした。
ー接種後に自分の脚が千切られるような痛みがありました
ところが、中学校1年生の時にガーダシルの接種を3回受けたところ、それまでなかった右ひじの痛みや、うずくまってしまうような脇腹の痛み、股関節に自分の脚が千切られ、取られるような強い痛みを感じるようになりました。
また、手に力が入らなくなり、お箸や筆記用具が持てず、ペットボトルの蓋も開けられず困りました。
車椅子や松葉杖を使わないといけない状態にまでなり、リハビリを受けました。
ー突然意識がなくなることがありました
さらに、何かしていても突然意識がなくなり、心配した家族が顔を叩いても、階段やエスカレーターから落ちても、しばらく意識が戻らないことがありました。電車に乗っているときに意識を失い、目的地の正反対の方向へ何時間も移動し、公園で座っている状態で意識が戻ったこともありました。
その他にも、もともと知っているはずの文字が甲骨文字のように見えて、認識できなくなる症状もありました。
ー症状は「演技」や「仮病」だと言われ信じてもらえませんでした
しかし、このような症状を訴えても、学校の先生やお医者さんには信じてもらえませんでした。
先生からは「障害者ぶるな」と言われました。
また、母がお医者さんから「演技だと思わないんですか、これは仮病ですよ」と言われていたと後から知りしました。
副反応で、学校の体育の授業に遅れた時に、先生が、走れない私以外の同級生を「連帯責任」として走らせたことがありました。
ー声優の夢を諦めざるを得ず悲しさや悔しさ、虚しさを感じました
私は、中高一貫校に通い、学校の友達とは良い関係をつくっていましたが、先生からは「出席日数が足りずに留年する可能性がある」と暗に転校を勧められ、高校は別の学校へ転出しました。
その時は、友達にも会うことがなくなり、寂しかったです。
高校生になってからは、声優になりたいと考え、そのための勉強もしていました。
しかし、いつ体調が悪くなるか分からず、勉強にもついていくことができなくなりました。
声優になることはそもそも「99%の努力と1%の運」と言われるほど難しいことで、体調の悪さから諦めるしかありませんでした。
症状に苦しむ中でやっと見つけた希望を、やっぱりこの症状で諦めないといけなくなり、悲しさや悔しさ、虚しさを感じました。
ー負担をかけた家族には謝っても謝りきれません
家族に対しては、「あなたたちのせいで私は体が悪くなった」と思いをぶつけてしまったことがあります。
家族は悪くないのに、つらい、悲しい思いをさせてしまったこと、大切な時間も奪ってしまったことには、謝っても謝りきれません。
ー症状は軽くなりましたがなくなった訳ではありません
高校3年生のころからガンマグロブリン治療を受けるようになり、症状は軽くなりましたが、なくなった訳ではありません。
疲れやすく、数時間働くと休まないといけません。原因が分からないので、またいつ症状が出るか分からない不安もあります。
現在は仕事をしていますが、体調が悪いときは休まないといけなくて、職場の人がカバーをしてくれます。
症状は、私だけでなく会社にとっても大変です。
ー未来が怖いと感じる症状です
もともと運動が好きだったのに、体を動かしたくても動かせなくなること、その症状の波は地獄そのものです。
この被害は、私だけでなく、家族や周りの人にも迷惑をかけます。
これまで、症状に対応するために、いろいろな工夫をし、また、いろいろなものに費用をかけてきました。
それでも、遊びに行った時も100%楽しむことはできません。
また、現在は子育てをしていますが、また体調が悪くなってしまったらと思うと怖いです。
症状の波は、未来にもつらい思いをさせる怖いものです。
ー反対尋問補充尋問について
反対尋問では、被告企業から、症状はそれほど重くなかったのではないか、症状の原因はワクチン接種ではないのではないか、心因性ではないか、といった角度からの質問がありました。
それに対して土岐さんは、とても落ち着いて、記憶に従って正確に答えました。
その中で、痛みとしか過ごしていない、自分の体の痛みに対する怒りをどこにぶつけたら良いか分からなかったという過去の心情も語りました。
ー幼いころからピアノに打ち込んでいました
私は、3歳からピアノを習い始め、それに打ち込んでいました。
中学校では芸術部に入り、友達とはゲームやカラオケで遊んでいました。
将来は、アニメ関連の仕事やピアノの仕事に就きたいと考えていました。
ー3回目の接種後、ひどいだるさ、頭痛、胃痛、下痢などの症状が出ました
中学校1年生の時にガーダシルの接種を3回受けた後、目がチカチカし、ひどい頭痛や胃痛も起きました。
中学校2年生の11月ころからは、体が重くベッドから上半身を起こすこともできないようなひどいだるさや下痢も起きるようになり、学校を休むことが多くなりました。
歩くときは息切れも激しかったです。
ひどいだるさは悪いままずっと変わっていません。
ー中学校の卒業式に出られずピアノも弾けなくなりました
症状はさらに悪化し、母に車で送迎してもらい保健室登校をしていましたが、中学校3年生の11月ころには症状がさらに悪くなって登校できなくなりました。
卒業式には参加できませんでした。
ピアノも弾けなくなりました。
楽譜は見えていても、ただ音符が並んでいるようにしか見えなくなり、内容が分からなくなりました。
その後、通信制高校の授業では、話されている内容が全く頭に入ってきませんでした。
教科書に文字が書かれていることは分かっても、その意味は分かりませんでした。
電子レンジの使い方が分からない、傘を差した後にとじ方が分からなくなる、両親の顔を見ても誰か分からなくなるといった症状が出ました。
ー食事、トイレや入浴に介助が必要になり入浴は月1~2回しかできません
普段は、倦怠感が激しく、外出はほとんどできず、家の中でリクライニングソファに座ったまま、ほとんど何もできません。
首が後ろに倒れてきてしまって、態勢の維持ができず、食事もリクライニングソファで食べていました。
入浴しようとして具合が悪くなって倒れそうになりふらつくので、母に介助をしてもらっています。
入浴するとひどく疲れてしまうので、頻度は月1回でした。
食事の際も、手の力が弱く、自分では食べ物を切ることができないので、母に一口サイズに切ってもらって、食べていました。
トイレに行く際も、急に体調が悪くなって倒れてしまうことがあるので、すぐに来てもらえるようにそばにいてもらっていました。
文字が分からない症状も、どんどん悪くなっていきました。
ワクチン接種を受けてから12年が経ち、去年の夏ごろから症状は少しずつ良くなってはいます。
トイレは一人で行けるようになりましたが、入浴はひどく疲れてしまうので、現在も月1回から2回の頻度です。
ー大学は5年間でひとつも単位を取れませんでした
私は、通信制の大学に進学しました。しかし、体調は悪くなっていきました。
その後、体調が悪くなったときにすぐに横になれるように、電動ベッドを置いてもらいました。
入学して5年ほど在籍していましたが、体調が悪くて単位がひとつも取れず、卒業が見込めなかったので、退学しました。
–症状から解放される人が一人でも増え、被害に遭う人がいなくなれば
アニメやピアノに関する仕事に就ける状況ではなくなってしまい、とても悔しいです。
体調に波がある病気で、もし社会に出ても安定しないかもしれません。
倦怠感の波で動けなることもあります。
母は私を看護するために仕事を辞め、一方で、父は収入を維持するために仕事を休めず、家族にも負担をかけています。
症状から解放される人が一人でも増えるように治療法を確立して欲しいです。また、そもそもこの被害に遭う人がいなくなれば良いと思います。
ー反対尋問
反対尋問で、被告企業からは、繰り返し、もともと学校に行くことにストレスを感じていたのではないかと質問がありました。
それに対して43番さんは、ワクチン接種によるひどい倦怠感等、正体の分からない症状があり、いつ体調が悪くなるかが分からなかったことこそが、その原因なのだと何度も何度もはっきりと答えていました。
あらためて、HPVワクチンの被害の深刻さが浮き彫りになりました。
期日前に行われたリレートークでは、前回の本人尋問期日で、尋問を受けて自ら被害を語った倉上さんや、HPVワクチン薬害訴訟を支える会・沖縄の渡辺優子さん、同北海道の浅川身奈栄さん、HPVワクチン東京訴訟支援ネットワークの隈本邦彦さんらにお話しいただきました。
【写真左から隈本さん、倉上さん、渡辺さん(マイクを持っている女性)、浅川さん】
尋問後の報告集会では、弁護団の大木奈央子弁護士らから、土岐さんと43番さんが切実かつ丁寧に被害を訴えていたことが報告されました。
一方で、被告企業には症状に正面から向き合って欲しいという感想が出ました。
また、「HPVワクチン ほんとうのこと」という冊子や新しいリーフレット、支援ニュースを発行したことも報告されました。
尋問の様子を報告する安孫子理良弁護士(左)と大木弁護士
訴訟期日後の記者会見には、午前中に尋問に立った原告の土岐梨奈さんが出席し、弁護団と一緒に、尋問の感想や内容を語りました。
土岐さんは、尋問で特に、自分だけではなく周りの人にも迷惑をかけて、家族にも被害が生じたことを裁判官に分かってもらいたかった、と語りました。
その被害とは、土岐さんが痛みのために歩けなくなってしまい、両親もどうしていいか分からず、土岐さんにお母様がつきっきりになってしまったこと、そのため、土岐さんのごきょうだいも、いろいろと悩み親に頼りたいこともある年代なのに、ご両親がきょうだいに向き合う時間を十分持つことができなかったことなどです。
土岐さんは、体の症状が辛くて両親にきついことを言ってしまったことがある、母はこれまで私につきっきりだったので、これからは母自身の人生を歩んでほしい、と目を潤ませて話しました。
その他、弁護団からは、午後の43番さんの尋問内容、他地裁も含めた被告の反対尋問の狙いについても報告しました。
記者会見に臨む原告・土岐梨奈さんと弁護団
次回の東京訴訟の期日は2024年8月7日(水)です。
東京訴訟原告3名の本人尋問が行われます。
引き続き、ご支援をよろしくお願いします。
<東京訴訟の次回弁論期日>
8月7日(水)10時00分~ 原告本人尋問
2024年5月15日(水)に、東京地方裁判所においてHPVワクチン薬害東京訴訟の原告本人尋問が行われます。
東京地裁では、前回2月21日の期日に引き続き、2回目の本人尋問期日となります。
原告本人が法廷に出廷し、自身の被害を裁判所で訴えます。
たくさんの皆さまに傍聴にお越しいただき、法廷に立つ原告を心の中で応援しながら見守ってください。
当日のスケジュールは次のとおりで予定しています。
9:10~9:20 裁判所前リレートーク
9:30 傍聴券抽選締切り
10:00~ 原告本人尋問期日(東京地裁103号法廷)
※抽選に外れてしまった方を対象に、期日中、日比谷図書文化館セミナールームAにおいて法廷外企画も行います。
期日終了後 報告集会(15:30頃の開始を予定しています)
詳細は添付のチラシもご参照ください。
※5/10付でトップ画像の案内とともに更新していますのでご確認ください。
2024年2月21日(水)、HPVワクチン薬害東京訴訟口頭弁論期日が開催されました。今回の期日は、原告3人の本人尋問を行う期日です。
開廷に先立ち、裁判所前にてリレートークを行いました。
東京原告15番さん、福岡原告・梅本美有さん、東京訴訟弁護団事務局長の関口正人弁護士、HPVワクチン薬害訴訟を支える会・北海道の浅川身奈栄さん、HPVワクチン薬害訴訟を支える会・沖縄の渡辺優子さん、杉並区議会議員の曽根文子さん、HPVワクチン東京訴訟支援ネットワークの隈本邦彦さんから、それぞれ裁判に向けた思いを語っていただきました。
また、リレートークの際には大阪弁護団の野口啓暁弁護士が作詞・作曲をし、大阪弁護団の安田知央弁護士がボーカルとして参加する原告団応援歌「パレード」も流されました。
【裁判所前のリレートークの様子】
今回の口頭弁論期日では、原告56番さん、原告5番さん、原告19番さんの尋問が行われました。
原告56番さんは、人や社会のために仕事をしたいという思いから、管理栄養士になることを夢見ていました。その目標に向かって勉強を続けていて、地域では一番の進学校に進んで、その中でも成績が優秀でした。
しかし、高校2年生の夏が終わった頃から副反応症状がひどくなり、教科書を読んでもその内容が入ってこないといった状態になってしまいました。大学受験をすることもできず、現在は障害者就労支援の作業所で仕事をしていますが、時給は127円にとどまっています。
また、原告56番さんはこれまで匿名原告として活動をしてきましたが、自身や家族の苦しみをもっと多くの人に知ってもらいたいという思いから、実名(倉上万莉佳さん)を公表をすることを決意しました。
原告5番さんは、ワクチンを接種する前はスポーツが好きで、中学時代はバレーボール部の部長として活動していました。将来は英語を使った仕事をしたいと考え、英会話のレッスンも受けていました。
しかし、副反応症状のめまいがひどくなり、バレーボール部の引退試合の1か月前に入院をし、引退試合には出ることはできませんでした。高校では、周囲の人の支えがあって高校生活を続けることができましたが、希望していた大学受験は思うようにできず、大学進学をあきらめることになってしまいした。
原告19番さん(園田絵里菜さん)は、中高一貫の学校に進学したのち、演劇部や文学調査部での活動などをしていました。将来は科捜研で働くことを夢見ていました。
しかし、ワクチン接種後に生理痛などがひどくなり、次第に高校生活を続けることが難しくなっていきました。高校3年生の時には学校へ行くことがほとんどできなくなり、高校を転学しなければなりませんでした。副反応症状について医師や学校の関係者といった周囲の方からの理解を得ることができないという苦しみもありました。
それぞれの原告は自分の状況を自分の言葉で直接裁判官に伝えることができました。
その後、場所をビジョンセンター有楽町に移し、報告集会が行われました。
まず、弁護団の木下正一郎弁護士、鈴木順弁護士、鮎京眞知子弁護士から、本日の尋問の内容等について報告がありました。
次に、福岡原告の梅本美有さん、東京原告33番さん、HPVワクチン薬害訴訟を支える会・沖縄の渡辺優子さん、HPVワクチン薬害訴訟を支える会・北海道の浅川身奈栄さん、HPVワクチン東京訴訟支援ネットワークの藤竿伊知郎さんから、それぞれ尋問の感想や、原告の皆さんへのメッセージがありました。
報告集会では、リレートークでも流された原告団応援歌「パレード」の動画も流されました。
【報告集会で当日の尋問について話をする(左から)鮎京弁護士、鈴木弁護士、木下弁護士】
また、並行して東京地方裁判所で記者会見を行いました。
記者会見では、倉上万莉佳(東京原告56番)さん、園田絵里菜(東京原告19番)さん、主尋問を担当した山本大地弁護士、澤田智俊弁護士、鈴木順弁護士と、関口正人弁護士、水口真寿美弁護士が参加し、期日の報告を行いました。
【記者会見に臨む澤田弁護士、倉上さん(原告56番)、山本弁護士と園田さん(原告19番)】
リレートークから報告集会・記者会見に至るまで、多くの方にご参加いただきました。本当にありがとうございました。
▶各地の次回期日
名古屋訴訟 2024年2月26日(月)13時15分~
大阪訴訟 2024年3月7日(木)10時00分~
九州訴訟 2024年4月17日(木)13時15分~ (開廷時間変更の可能性あり)
東京訴訟 2024年5月15日(水)10時00分~
過去の記事はこちらから確認できます。